味の要素を分解できてない

豚汁をつくった。豚肉のジャンボパックを半分冷凍したやつを使おうと取り出したが、半分すべて1枚のジップロックにつめたので量が多く、無理やり割って破片をつかった。破片は全体の1/3もなく、完成した豚汁もあんまり旨味がない感じがした。ただ、普段入れている人参やきのこも入ってないので豚肉のせいじゃないかもしれない。味の要素を分解できてない。

入/切

金曜日の退勤のときにバイト先の階段の照明を2階のスイッチで消して降りたせいで、廊下と階段で明かりのつく向きが逆になってしまった。気持ち悪いが直すのは面倒くさい。

小さい頃、実家の階段の電気を2階のスイッチで消したとき、1階のスイッチの向きに関係なく消えるのか、それとも1階のスイッチも連動して動いているのかどっちなんだろうと思ったことがある。当時から階段を行き来するのは面倒だったから、特に検証はしなかった。

340mlペットボトル

ベッドの下から空になったいろはすの340mlペットボトルを拾った。私はどうして小さいペットボトルを買ったんだろう。500mlを2本買うより安いからと普段は1Lのお茶を買っているくらいなので、なにか理由がなければこのサイズの水は買わないと思う。

書いているうちに買ったときのことを思い出してきた。その日たまたま肩掛けポーチみたいなかばんだけで外出していて500mlボトルを入れる場所がなかったのだ。納得いく理由だけど、レジ袋をもらえばよかったのでは?自販機で買ったのか?

 

アーリオ・オーリオ・コン・ポモドーロ

彼女が持ってた『スケッチー』という漫画を4巻まで読んだ。スケボーをしている/これからはじめる女性の群像劇なのだが、作中で「ボードを持ち運ぶにつれデッキテープの摩擦で指の指紋がなくなり、スマホ指紋認証ができなくなる」というのがあるあるみたいな感じで出てきて、私の親指の皮膚が最近ガサガサしてるのはデッキテープのせいだったんだ!と気付いた。

近所の公園は起伏のある森林公園的なとこで、平らで広いコンクリートの路面がない。だんだん狭く感じてきたので明日は元気があったらちょっと遠出してみようと思う。

 

久しぶりにアーリオ・オーリオ・コン・ポモドーロをつくった。私がいつもYouTubeで調理動画を見ている小倉知巳シェフによれば、ペペロンチーノをつくるときフライパンに入れる茹で汁をトマトソースに置き換えたパスタをそう呼ぶらしい。トマトソースをつくるのが億劫だから最近食べてなかったが、美味しかった。

アラビアータもトマトソースとにんにくと唐辛子のパスタだが、こちらはトマトソースの分量を増やし、それに合わせてにんにくもみじん切りにして風味を強くしていると説明していた。コンポモドーロはオイルベース、アラビアータはトマトベース(?)ということらしい。つまりコンポモドーロとアラビアータは別の料理だが、具材や調理法におおきな差異があるわけではなく(コンポモドーロにはイタリアンパセリを入れていたが)その差異は分量によって生まれているのだ。

「私が(人が)違うものだと認識している二者の違いはある要素の多い少ないでしかない」ということに頭でイマイチ納得できないところがある。大きい種をクジラ、小さい種をイルカと呼ぶ、みたいなのも、いやなんかこう違うじゃん、形とか!雰囲気が!と思ってしまう。コンポモドーロとアラビアータのことも大して変わらないんじゃないかなと思っていたが、最初にレシピ動画を見たときに実際に分量を変えて作ってみたら全然違うパスタになってとても驚いた。アラビアータは食べたことのある辛いトマトソースのやつだったのに対し、コンポモドーロはペペロンチーノの旨味が増強されているような感じで、たしかにオイルのパスタだと感じた。分量の違いが料理の種類自体を分けうると、自分で作り食べ比べることでようやく実感できた。

人間が量の違いを(本)質の違いかのように感じる(あるいは量の違いこそが本質である)というのはすごく面白いし、なんかポジティブな感じがする。人間の創造性みたいなものをもっと広く捉えられる気がする。

スケボー練習した

スケボーが届き、昨日今日と練習した。

初日…板への乗り降りはあっさりできたが、その後のプッシュ(地面を蹴って進むこと)が難しかった。板に乗せている方の脚に体重をかけて前傾する必要があるが、蹴り足のほうに重心が行ってしまう。意識して体重をかけると後ろに倒れそうになる。前傾も併せて意識するとなぜか腰が曲がって直立できない。映像や言語の情報を身体の動かし方に変換するのが苦手だから運動音痴なんだよな…と常々思っていることを改めて実感した。

 

二日目…今日は朝7時に家を出て、午前バイトして夕方まで暇して夜はもう一つのバイトだった。帰って晩御飯食べたらさすがに寝るんじゃないかなと思ってたが、食べ終わってすぐに家を出る準備を始めたので自分でも驚いた。

プッシュ時の体重のバランスが昨日よりも安定していた。3回に2回はプッシュ後でもきれいに板の上に立てるようになった。公園内のゆるくカーブになった道で練習していたのだが、そのカーブに合わせて曲がれているような気がしたが。あれは本当に自分の体重移動で曲がったのだろうか。体感としてはそうだったけど、たまたま道の傾斜がそうなっていただけでも納得できるくらい自分がうまくやれてるのかわからなかった(暗かったのもあると思う)。調子に乗ってチクタクもやってみようとテールに体重をかけてみたが、板が変な方向に吹っ飛ぶだけだった。暑いし眠いので40分くらい練習して帰った。

近所の公園は起伏が多くて民家も近いので、あんまりスケボーに向いてない。もうちょっとできるようになったら平らで大きな公園へ遠征してみたいと思っている。電車にちょっと乗れば無料のスケートパークにも行けるけど、初心者がクルーザーを練習していて浮かないか心配。杞憂だと思うけど。

 

怪我

舌を噛んだ。歯で刺したところに異物感がある。舌の傷は、身体にできた傷(≒穴)じゃなくて身体に入り込んだ身体じゃないものみたいに感じられる。もうなにも刺さってないのに!

 

ゆうべ通販でスケボーを買った。明日届く。技を決めることにあまり関心がないので、クルーザーというタイヤが柔らかくて走行性能の高いやつにしてみた。

昔から優等生だったので人に怒られたり悪く思われたりするのが怖く、ここ数年はそれがひどくなって無気力になっていたと思う。スケボーは社会と接触するリスクを抱えながらやる楽しいことだろうから、始めたら今より活動的になれるかもしれないと思った。わざわざ人様に迷惑をかけるつもりはないけど(クルーザーにしたのも近所が住宅街で、公園で走っても音が響きそうだったから)、ちょっとでも滑れるようになればスケーターの視点みたいなのが自分の中に入ってくるんじゃないかなと思っている。怒られるのと同じくらい怪我も怖いので、ヘルメットとプロテクターも注文している。さっきスケボーで靭帯断裂した動画を見て、余計怖くなった。

 

暑くて世界の終わり

バイトで掃除してるときミッシェルガンエレファントの『世界の終わり』のメロディが頭から離れなかった。それで、今日はとても暑いから、いつか人間が暑さでみんな死んじゃうというパターンの世界の終わりもありうるかもな…と思っていた。ある日気温が70度になったりすることってあるだろうか。徐々に暑くなるんだったら人々も寒い地域に逃げたり地下にこもったりできるだろうが(私みたいな貧乏人ができるかはわからん)、急に暑くなったらかなりの災害になると思う。けっこう苦しくて最悪だろうからそうはならないでほしいと思った。

水中、それは苦しいの『保育園落ちた、吉田死ね』が『世界の終わり』のコード進行を引用してるのがほんとに好きだ。ジョニー大蔵大臣はずっと生と死の話をしている。